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新着トッピクスTOPICS
2023年11月24日(金)
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二階派が激怒した「自見大臣」のパーティー券問題の「言い訳」

 最近、自見英子地域創生相・万博担当相の顔色がすぐれない。マスコミからパーティー券問題、パワハラ問題で集中砲火を浴びているからなのだが、釈明が火に油を注いだどころか、二階派も激怒。書類送検もあり得ない事態に発展しつつあるが、東京地検特捜部は派閥の裏金問題にも切り込みそうだ。

総理候補に突如躍り出た女性議員に各派閥がなびき始めた!?

 支持率の低下はすでに危険水域に達し、足元がグラつくどころかガタガタとなった岸田内閣。だが岸田首相はノンビリしたもの。党内にライバルはなく、しかも野党の力も弱い。自分の政権は続くと思っている。だが事情はちょっと変わってきた。従来の首相候補ではない新たな名前が浮上しつつある。

2023年11月17日(金)
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大家参院議員ハズしでどうなる!?9区問題

 福岡9区については支部長は決めないことを決めた――茂木敏充幹事長は大家敏志参院議員にそう言い放った。これを受けて自民党は福岡9区で次の総選挙では公認候補者を出さないことを宣言したのだ。まさに異例中の異例であるが、気になるのはこの先の展開なのだが・・・

2023年11月14日(火)
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現場から「総スカン」武内北九州市長の「暴走」がとまらない

 北九州の武内和久市長の暴走が止まらない。その一部を毎日新聞が報道、X(元twitter)で大反響を呼んでいる。武内氏の手法は議会無視。市長と議会という市政の両輪が北九州市では崩壊しはじめている。

2023年11月10日(金)
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ギリギリまで解散時期を探った「岸田政権」の今後の「茨の道」

 9日、岸田首相の発言を朝日新聞と読売新聞は大きく報道した。見出しは「首相、年内解散断念」。首相が「年内は経済政策に専心する」と語ったことを受けてのものだ。支持率の低下が報じられる中での「断念」であり、予想されたことだったが、それを首相がわざわざ発信したことが波紋を呼んだ。追い込まれた岸田政権、今後の展開はいかに。

解散先送りで茂木幹事長「9区問題言及」でも解決しない!?

 10月27日、東京・自民党本部で行われた茂木敏充幹事長と松尾統章県議団会長・福岡9区支部長代行の話合いで、支部長決定に際して、県連の意向を尊重する姿勢を茂木幹事長が示した。それを受け、混迷を極めてきた支部長問題が前進するのではとの声が地元県議、市議の間で流れ始めた。だが、実際に前進するのか、まだまだ先は見えない。

2023年10月31日(火)
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パレスチナをよく知る写真家「菅梓」氏が語る「パレスチナ問題」

 ハマスとの戦争は第二段階に入った――イスラエルのネタニヤフ首相は傲然とそう言い放った。ガザ地区に戦車、陸上戦力を侵攻させての言葉だ。しかも大規模な空爆は連日続いており、ガザは廃墟と化している。今、ガザの空は空爆の黒い煙で全域が覆われている。その下はまさに地獄絵。我々の想像を絶している。この非人道的な戦いはいつまで続くのか。パレスチナをよく知る写真家・菅梓氏に話を聞いた。

 中東の地中海東部に位置するパレスチナ。その地で営みを得ていた70万人のパレスチナ人は、第二次世界大戦後の1948年5月、国連主導によるユダヤ人のイスラエル建国とともに故郷を追われた。しかも、そこには宗教対立を盾にした、各国の政治の思惑が絡んだ。今、パレスチナ人はヨルダン川西岸とガザ地区に押し込まれ、国家の建設もままならないまま、イスラエルの占領下に置かれている。

 今回の事態の発端は、ガザ地区に拠点を置く反イスラエルの武装集団ハマスが、イスラエル領土に侵攻し、民間人を虐殺。そしてイスラエル人約250人を人質としてガザ地区に連れ去ったことにあるとされている。しかし、その根はもっと深い。そもそも、ハマスによるイスラエルへの攻撃、その報復としてイスラエルからガザ地区への攻撃は日常的なことだった。

 両者の争いがエスカレートするきっかけは、最近の中東政治地図の変容にある。

 アラブの大義である、「パレスチナ問題の解決なくしてはイスラエルを認めない」との主張を、イスラム国家、サウジアラビア、バーレーン、UAEなどが投げ捨て、イスラエルを認めることに踏み切ったからだ。これによってアラブの足並みが乱れ、反発したハマスなどのパレスチナ地区の反イスラエル軍事組織がいら立ちを深め、エスカレートした攻撃に打って出たのである。

 イスラエルは、今回のハマスとの戦闘を「自衛」のための攻撃だと言う。だが、その自衛の実態は大量の無差別殺人だ。

 ガザは、日本の福岡市程度の土地に200万人が暮らす、世界でも屈指の人口密集地帯。そこに容赦ない空爆。陸上は塀に囲まれ、海岸には鉄条網が張られ、沖には警備艇が駐留。「天井のない監獄」で死を待つ人々。現在、ガザの死者は8000人に迫ると言われ、インフラ機能もほとんどが停止。命をつなぐ病院も機能不全に陥っている。生活の基本である食料はもちろん、水の供給すらも滞っている。それにもかかわらず、国際的な反戦ムードにはなっていない。日本政府も国連総会決議にイギリス、ドイツなどとともに棄権した。

 解決の道はあるのか。「パレスチナを愛する旅人」、写真家の菅氏はこう話す。

「パレスチナの人々は、自分たちの置かれた厳しい環境の中でも、民族の誇りを持ち、世界中の友人を受け入れてくれます。今、恐るべき環境のもとでも、彼らは笑顔を忘れずに明日に向かって生きています。そして国土を奪われたパレスチナの人々に、世界の人がもっと目を向けて欲しいと願っています」

 菅氏がパレスチナを知ったのは、ヨルダンに行ったときに「エルサレムを見たい」という気持ちから現地を訪れたことがきっかけだった。もともと世界の料理に興味を持っていた菅氏は、パレスチナ各地域を巡り、家庭料理を通じてパレスチナの人々と文化を知った。料理は文化の架け橋になることを実感、抑圧された民であるパレスチナの人々の優しさ、逞しさに魅了され、パレスチナを何度も訪れることになった。その菅氏が見たイスラエルとパレスチナとは。

「イスラエルは、領地を拡大するためにパレスチナの人々への弾圧を行い、国連に認められていない地域に入植地をたくさん作り、そして今も作っています。他方で、反イスラエルを唱えるハマスやファタハなどの集団も、パレスチナの人々にとって支配者として振る舞うことがあります。パレスチナのある有名音楽家は、自分の作った曲を自分のものと言えません。抵抗の歌と認定されれば、イスラエルに逮捕されてしまうからです。ハマスやファタハなどの抵抗組織の中では、汚職が蔓延し、彼らもまたパレスチナの人々を逮捕することがあります。明日をも見えない絶望の中にいる人々のことを発信することは、彼らを孤独から救います。また、これは私自身のためでもあります。パレスチナでは、人権が蔑ろにされています。私は、パレスチナでその瞬間を何度も目撃しました。他人の人権が侵害されているのを見過ごすことは、自身の人権を蔑ろにしていることと同じです。見た者には、見たことを伝える責任が発生すると思います。私は、パレスチナで何が起こっているのか伝えるために、日本人としての自分にできることを精一杯果たして行きたいと思います」

 パレスチナ問題は、解決されなければならない。戦争に代表されるこれまでの負の歴史を克服する根源的な力を、人類が持っているかが試されている。

 

 

2023年10月27日(金)
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「工藤会」組織改編で「役職名」も変更したワケ

 29日、工藤会最高幹部、野村悟被告、田上不美夫被告の控訴審は結審を迎える。弁護側はこの結審を引き延ばそうとしているが、それがうまくいったとしても日程的には11月には結審となる。判決は2月末から3月。それに合わせてなのか、工藤会の役員名称の変更が決まったようだ。

2023年10月24日(火)
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「補選の結果は順当!?」岸田首相の解散へ踏み切るか、とどまるか

 注目の衆院・長崎4区、参院・徳島高知合区選挙区の補選が終わった。予想通り1勝1敗。これを受けて政局は解散時期をめぐる話に移りつつある。解散は遠のいたと話す人がいれば、逆に岸田首相が乾坤一擲の解散・総選挙に打って出るとみる人も。はたして行方は。

2023年10月20日(金)
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公明党元議員 東順治逝去 追悼 ~貫いた信念~

 17日、東順治元国会議員が逝去した。東氏は公明党の国会議員として活躍、多くの人に愛された。新進党の羽田政権下では防衛政務次官を、自公連立政権のもとでは、公明党国対委員長や党副代表などを務め、自公連携を前に推し進めた。77歳、まだまだ働き盛りの若すぎる最期だった。

 

 東氏は北九州大学卒業後、聖教新聞記者として活躍。平成2年に旧福岡2区で出馬、当選をはたして以来、公明党国会議員として、7期の任期を務めた。平成24年、後進に道を譲り不出馬、その後は地元の九州国際大学理事として、若者の教育・育成に力を尽くした。

 穏やかな風貌で、人の話によく耳を傾ける人であった。だがその信念は揺るぎないものだった。松本龍元復興大臣が議席を失った2012年の衆院選挙では、ともに東日本大震災に立ち向かい、復興のために努力した間柄から、敵味方を乗り越えて、敗勢の松本氏の応援のため1区での街宣を繰り広げた。「東日本の復興のために松本さんがはたした功績は大きい。それを無視する宣伝は許せない」と言っていたが、当時の公明党本部の方針に逆らうものであった。また長年、親交のあった元西日本短大付属高校校長、元西日本短大理事の須郷氏が発刊したIssekiの創刊号では、当時の安倍内閣の安保法制に対して警鐘を鳴らす一文を寄稿した。

「平和の党が公明党の結党理念である。緊張する国際情勢の下での安保法制について理解はできるが、その礎には平和を希求するとの精神が必要。安保法制が日本の戦争参加を容認する方向に進むならば、それを許さないという思いで筆をとった」と当時、東氏は語っていた。

 東氏については皆、優しい人、決して荒立つ声を上げない人、と皆評価する。だがその精神は強くたくましいものであった。東氏は「漢(おとこ)」という言葉をよく使った。男は「漢」でなければならないとの想いからだ。正義のために誠を尽くすとの信念から、時々、その行動は公明党、創価学会の枠を超えることもあった。「議論を尽くした上で、組織の方針に従わざるを得ないこともあった」と寂しそうな顔で述懐することもあったが、やんちゃ坊主のような東氏は、最後まで自分を貫く生き方にこだわっていた。

 東氏は人間が本当に好きだった。ある時は年の離れた若者の生き方を知るために、そのすべての言葉に耳をすました。自分の価値観で解釈するのではなく、あるがままの対象をそれとして理解するために努力を重ねた。そうした東氏の態度から多くの人が「創価学会の東」ではなく、「人間・東」に好感を寄せた。東氏のネットワークの広さは、その生き方そのものであった。

 19日、古賀市のベルコ・シティホールで東氏の葬儀が開催された。こじんまりと行いたいとの家族の意向であったが、伝え聞いた多くの会葬者が参集した。用意された座席では足りず、急遽、増席されるほど。学会関係者、公明党関係者だけではなく地域の人々や福岡市の経営者などもつめかけていた。

 東氏の生きざまが感じられる葬儀では涙ぐむ人々も。平和を願い、人を愛し、人に愛された東氏。慈愛に満ちた眼差しを誰も忘れることはない。

 合掌

 

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